天明7年(1787年)、老中首座と将軍輔佐役の地位についた松平定信(美川洋一郎)は、幕府の財政を建て直すために目を付けた蝦夷地の資源探索を秋草に依頼。公儀隠密が蝦夷に潜入したとの報告が江戸の藩邸から入った松前藩では、幕府に別の地へ国替えをさせられると思い込んで激怒する藩主松前志摩守道広(立松晃)が、松前藩随一の剣客で甲源一刀流の達人鬼場陣十郎(勝木敏之)に隠密秋草の抹殺を命じた。秋草は、無法者や悪徳商人、アイヌの凶悪な酋長などの悪人たちに虐げられている蝦夷地の開拓民や善良なアイヌ民族たちを救いながら執拗に追って来る鬼場陣十郎と戦う。
『炎のごとく』(ほのおのごとく)は、1981年5月9日に公開された日本の映画。巨匠加藤泰の最後の劇映画である。上映時間147分。
飯干晃一の『会津の小鉄』を原作に、幕末の京都を舞台に、侠客会津の小鉄こと仙吉と京都の町の人々のドラマを、天誅横行、池田屋事件、蛤御門の変などを背景に描いている。
目次
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* 1 あらすじ
* 2 キャスト
* 3 スタッフ
* 4 作品製作に関するエピソード
* 5 DVDについて
あらすじ [編集]
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仙吉は、呉服屋の跡取り息子だったが、人殺しの罪で大坂所払いとなり、博徒として諸国を渡り歩いていた。
とある雪国で喧嘩をしたとき、瞽女のおりんに手当てを受けたことから、おりんを愛するようになる。強盗の浪人を斬り、逃げ...
大正の頃。宇和島に住む漁師の伯父に育てられていた孤児の近藤ミネは、地元の名家大浜家の長男実と恋に落ちる。二人は出奔するが、九州に向かう列車の中で代議士暗殺事件に遭遇し、暗殺者の一味と間違えられて警察に逮捕される。出獄したミネは、獄中で出会った思想犯の小川つると共にカフェの女給をしながら実と愛の巣を構えるが、実は家族に連れ戻されてしまう。
実を追って宇和島まで戻ってきたミネは、家族に反対されて愛を貫くことの出来ない実の不甲斐なさに絶望し、海に身を投げようとしたところを、たまたま里帰りをしていた長田という男に助けられ、それが縁で長田の妻になる。
長田は、神戸港で荷役の人夫たちを仕切る大親分だが、新興のヤクザである岸本組は長田を快く思わず、客人の侠客田中清次郎を刺客に仕立てて、長田の命を狙おうとする。暗殺は失敗するが、清次郎は長田の妻となったミネの顔を...
青雲の志に燃える無頼の青年玉井金五郎は、恋女房のマンと一人息子の勝則を連れて、若松の港のゴンゾの親方永田杢次のもとに身を寄せた。二人は真黒になって働いた。そんなある日、幼い勝則が筏で流された。それを救ったのは、支那大陸の流れ者、銀五だった。駈けつけて来たマンを見て銀五は身ぶるいした。感謝の気持を表わすマンに死んだお袋のおもかげを見たのである。それからの生涯、銀五はマンを心ひそかにあこがれつづけていった。翌年の春。急に勢力を増した友田組が、永田たち連合組の荷役奪回を策し始めた。連合組の総師大庭春吉は受けて立つことを宣言。金五郎も、友田組を向こうに回して敵対の意を表した。ある日、金五郎は大庭に、永田組の後釜として「玉井組」の看板をあげるよう懇願されるが、永田の手前もあり辞退した。その夜、大庭に連れられて賭場に行った金五郎は、顔見知りの蝶々牡丹のお京と...
An easygoing gambler played by Atsumi (later to gain fame as Tora-san) gets caught in the crossfire of two gangs' warfare.
約四百年の昔、瀬戸内海沼岸に偉容を誇る一城があった。王見城というり城内は、明国から帰ってくる若君王見正人の噂でもちきりだった。だが、正人の留学中に、父勝正を謀殺、城主の位を奪った正人の叔父師景と腹臣の六角直之進、今は師景の妻となっている正人の母時子は、正人の帰国を不安の面持で迎えた。正人は、師景の暴政の数々を耳にし、狂気をよそおって帰城した。だが、正人の狂気も、彼を愛する雪野の目をあざむくことはできなかった。正人は、ある夜、父勝正の血にまみれた亡霊を見た。父の死に疑いをもった正人は一計を案じた。猿楽の一座を招き、師景、時子に天皇を刺し殺した后サビメの古事記の一節を見せた。時子は悲鳴を上げ、師景は席を立った。正人は、ある日、誤まって雪野の父直之進を刺してしまった。正人は直之進の墓前で雪野に会った。すべてを許す雪野を、彼は振りはらわねばならなかった。雪野...
明治39年。すでに23歳の竹久夢二の絵は日本の画壇で異彩を放ち、多くのファンを獲得していた。彼は理想のモデルである年上の女、たまきと結婚し、夢二の絵の世界は確実に拡がっていった。明治43年、夢二は大逆事件の幸徳秋水らの活動に協力したために検挙された。やがて釈放された夢二は、たまきと長男、耕助を捨てて家を出て、一人で創作活動にうち込んだ。彼は京都で行なわれる文展に対抗して、第一回の個展を開くことを企画していたが、壁にぶつかった。独学ではじめた彼の絵には、写実の手懸りとしてモデルが必要なのであった。彼は2年ぶりにたまきを訪ね、モデルになってくれと土下座して頼んだ。大正元年11月、夢二の第一回個展は文展を圧倒する大成功をおさめた。夢二は復縁したたまきのために、港屋という絵草紙の店を開いた。その二階は夢二を慕って集まる画学生たちのサロンになった。やがて、たま...